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琴音の煉瓦刻印発見録♪『JR水戸線・福原駅ランプ小屋の刻印☆』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『煉瓦探索してて初めて他人様に怒りを覚えた』

 

 今まで煉瓦構造物をカメラに収め、その行動に対して、

 道行く人の視線が冷ややかなこともあった。

 また興味を持たれて近づいてくださる御人も数多くいらっしゃった。

 

 ・・・でも今回ばかりは非常に腹立たしい出来事に遭遇したの。

 

 人の趣味はコアであるほどディープであるほど理解されにくいのですが、

『そこまでわざわざ言いますかっ!?』ってことがあったとです^^;

 

 怒りに任せて書きなぐりたいところではありますが、

 貴重な発見ですし、やんわりと書こうと思うよ(自分に言い聞かせ)

 ではではスタートっす。

琴音の煉瓦刻印発見録♪福原駅ランプ小屋2.jpg

DSCF4132.jpg

 やって来たのは最近お世話になってるJR水戸線の『福原駅』

 なんでお世話になってるかと言うと位置ゲー『レキシトコネクト』の育成でよく通るだけw

 

DSCF4133.jpg

 おや?

 水戸駅行きのホーム上に何か怪しい物件が見えてきたっすよ(*´д`*)

 

 さっそく近づいて見るとお~~~

DSCF4134.jpg

 じゃじゃーん!

 来ました『ランプ小屋☆』

 もしくは『危険品庫☆』

 

 ランプ小屋とは、まだ電化・電灯もままならない時代、明治大正期などに保線用の灯り・照明用の燃料など可燃性が高くて危険な物を収納しておく倉庫として造られた建物っす。

 特に煉瓦は耐火の面でとっても重宝されたそうっす。

 

 かつては国営鉄道の駅にはあたりまえにあったらしいんすが・・・

 今や全国でも煉瓦造りのランプ小屋は19~20数棟しか無いそう^^;

 

 いつもこの駅で下車してじっくり眺めたいなあ~って思ってたんすが、が!

 なんせJR水戸線は平均でも一時間に1~2本の運行しか無くって・・・(昼間は特に)

 下車したら次の電車が1時間後って考えると躊躇してたのだw

 

 でも今回はゲーム目的じゃなく『コレ』が目的。

 待ち時間を費やす用に雑誌も買ったのでもう完璧!

 ではでは舐めまわすように観察しましょうず(*´д`*)

DSCF4135.jpg

DSCF4136.jpg

 見た感じ、特別な積み方はしてないね。

 でも正面は左と右で何故か違う。

 左手はひたすら長手積みなのに

 右手側は小口・小口・小口積み

 

 入り口の上面にはコンクリ。

 ん?

 おや?

 その隅っこになんかラベルっぽいのあんぞ???

DSCF4137.jpg

 建物財産標?

 どうやら特にかつての国鉄の建築物にはこのタグと言うかプレート表示が義務付けられていたみたいね。

 そこには建物の竣工年や目的などが刻まれているっす^^

 

 危険品庫1ってのはよくわからないけれど、

『T-2』ってのは竣工年だと思うっす。

 つまりはこのランプ小屋は大正2年に建築された古い建物ってことっすね☆

 

DSCF4138.jpg

 ランプ小屋は駅のホームと駅舎外に鎮座。

 

 ではでは、まずホームから見える部分で煉瓦ちゃんの刻印とか探しちゃおーっす(*´д`*)

 

DSCF4139.jpg

 !?

 ホーム側正面の軒下には特に目ぼしいものは無かったのだけれども、

 建物右手の側面の突き出した煉瓦ちゃんに紋様らしきものが!!!

 

 ズームアップしてみるとーーーー

DSCF4147.jpg

 ん!?

 間違いなく煉瓦の刻印!

 カタカナの『リ』と、後、なんだろ?

 わかんないけれど何かこのカタカナのフォントを見たことがあるような気がする。

 

DSCF4148.jpg

 もう一つはーーー

 これまたなんて表現していいのかわかんないんだけれども、

 こっちもかつて私は見たことあるような煉瓦刻印だなあ~と思った。

 

DSCF4143.jpg

DSCF4144.jpg

 さて、PASMOをピッとして駅舎の外へ。

 周りは人っこ一人いない^^;

 ホーム側からは見えない部分も観察することにしようず。

 

DSCF4145.jpg

 入り口に対して丁度裏手に来ました(左手側面は何もなかったので省略)

 

 ここも薄いですが軒下の煉瓦の平面があったので、煉瓦刻印が無いかな~と覗き込んだ。

 すると!

 

DSCF4146.jpg

 !!??

 ぐは!

 二輪の輪っかの刻印

 つまりはかつて東京の葛飾区辺りにあった金町煉瓦(金町製瓦工場)の刻印じゃなーい(*´д`*)

 

DSCF4149.jpg

 こっちも薄っすらだけれども

 金町煉瓦の二重の輪っかにカタカナの『リ』

 

 先ほど見かけた怪しい刻印も、かつて金町煉瓦の刻印を見かけた煉瓦構造物にチラホラ見かけたものでもあったりしやす。

 

 ・・・と言うことは?

 少なくともこのランプ小屋は金町煉瓦製。

 もしかしたら他の煉瓦会社の製品も混じってるのかもしれないけれど、

 こんだけ見たことのある刻印が集まっている。

 つまりは先ほどの怪しい刻印も金町煉瓦の異種か亜種ーーーなんじゃないかな^^

 

 実はここに来る当初は、他の煉瓦会社の製品なんじゃないかとも思っていた(地理的に近い?下野煉瓦とか)

 でも意外な発見!

 

 ここまで煉瓦に関わってくると、小さな発見でも興味が尽きないの☆

 二重の輪っかの刻印以外にも金町さんは刻印をもってた!?とか、

 もしかしたら水戸線に扱われた煉瓦の橋梁なんかは全部金町製なのかな?うふふ(*´艸`*)ってね!

 思わずワクワクしちゃった(*´д`*)

 

 ここからは電車を待つ時間つぶしに用意した雑誌などには目もくれずに、このランプ小屋をカメラのファインダーにおさめ、

 時に自分なりに考察し

 そして何度もランプ小屋の周りをグルグルしてたのです。

 それは自分の趣味として『当たり前の至福な時間』だった訳っす^^

 

 でもそこに『悪魔がやってきた』

 

 私がニンマリ顔でランプ小屋にカメラのレンズを向けている時だったっす。

 駅舎併設の駐輪場辺りからフラフラと酒に酔ってるんだかわかんないけど、おじいちゃんが近づいてきた。

 

 そして私のその様を見るなり、

『なんだそんな煉瓦。そこらへんにいくらでもあるじゃねーか。何を物珍しく見てんだ!』と、

 

 私に視線を向けることなく、

 でも明らかに私の行動に対してわざわざ難癖をつけてきた(大きな声でつぶやいた)んすよお・・・

 

 カチン!と来たよ?

 それに対して。

 

 でも『そう言うこと言う人もいるだろうな。趣味として理解されない部類でもあるし・・・』と、本当は吐き出したい言葉も飲み込んださ。

 

 でもさ、更に私に視線は合わさずにおじいちゃんは続けたのさ。

『こんな煉瓦そこらへんにいくらでもあるじゃねーか。何が楽しいのかw』と。

 

 はあ!?

 はああああ!!??

 

 幾らなんでもひど過ぎる!

 わざわざ難癖つけなくったっていいじゃない!

 

 滅多に他人様に怒らない私でも、どう考えても私に対して言ってきたそのご老人に噛みついてしまったっす。

 

 別に普通に通り過ぎればいいじゃない。

 わざわざ何でそー言うこと私に言うの???

 

『すいません。でもここにあるのは大正期からあり、日本でも20と無い貴重な煉瓦のランプ小屋なんですよ?』と言うと、

『そんなのいくらでもあるだろ。バカ言うな』

 歩みを止めず、でも明らかに私に向けて口ずさむ。

 

 はあ?

 はああ!!??

 

 まあ・・・いいや。それも一応堪えてやる。

 

 理解してないじいちゃんに、私は少し抑えつつも、でも幾らか牙のある感じで言い返した。

『じゃあーおじいちゃんの言うそこらへんにあるって言う煉瓦の場所教えてくださいよ。地元の人?だったら教えてくださればそこに行きますから^^;』って。

 

 そしたら返ってきた言葉が

『そこらへんだよそこらへん。何が楽しんだか』って。

 

 はああ?

 流石に切れたね。

 私は切れた。

 

 コアな趣味は理解されにくいとは言ったけれども、

 それ以前の問題っすよこれって・・・

 

 この福原駅、

 実は平成の世になって駅舎が改築された。

 言っちゃーなんだけれども、場所的に考えるとシンプルだけれどもとっても小奇麗な駅舎へと変わった。

 

 そしてその際にランプ小屋の撤去も危うい感じだったのかもしれないけれどもこうして残されたの。

 それはこのランプ小屋の歴史が認められたからだと思うの。

 地元の人がその価値観に気づいたのかは分からないのだけど、

 すくなくともこの水戸線、そして福原駅に携わってきた方々にとっては『残すもの』と言う価値観のもとに今も尚取り壊されずに現存してる訳。

 

 煉瓦のれの字も知らなかった頃なら『変なじいさんいるな~w』って笑ってスルーしてたかもしんない私。

 

 で・も、

 

 でもどうしても許せなかった私は、なぜか歩みを止めずに歩きつつ私に悪態をつくじじいに抗議しながら論戦っす☆

 

『おじいさんの言うそのそこらへんにあるっちゅー煉瓦を教えてくださいよ。だったら今からそこに行くからさあ(ホントは、オイてめー口調)』

『わざわざ難癖つけることは無いんじゃないでしょうか?(そんな優しい口調じゃねー)』

 

 でも返ってくるその答えは『そこらへんにいくらでもあるじゃねーか。珍しくもねえ』

 

 ・・・だ。

 

 分かち合えないとかそういうレベルじゃねーし!

 

 ・・・こんなにも侮辱されたのは初めてです・・・。

 

 結局、その後はどうしたかって?

  

 本当は胸倉掴んで一発お見舞いしたい気分に心駆り出されたけれども、

 そこもまた『趣味の範囲』っす。

 

 自分でも思った。

『趣味を貶されて人を殴って人生をないがしろにするのはどうなんだろう』って^^;

 

 でも・・・平手打ちくらいはしたかったかなw

 

 だってわざわざ言うこと無くね?

 変な奴がいるな~でスルーするだけでよくね?

 

 それをわざわざ私に聞こえるように言ってくるんだもん。

 そりゃー抗議のひとつもしたくなるよね^^;

 

 フラフラと歩き私の抗議にものらりくらりとかわす爺に辟易・・・

 あんまり大げさにしてもしょうがないと、渋々取り下げて再び福原駅の駅舎へと戻った。

 

 その後すかさずバイクに乗った駐在さんが駅周りをウロウロしたのは近隣住民さんの通報なのか何なのかは分かりませんっす(まあ、特に何も言われてないけどタイミング良過ぎw まあ・・・大きな声でしたしね^^;)

 

 小山駅までの電車を待つ間、

 私は屋根のある駅舎で、思い出したように雑誌をリュックから出して読み耽ることにした。

 

 さっきまでのモヤモヤを忘れるように。

 

 ---定刻間近

 

 ふと、私の目の前を通り過ぎ、駅舎から先ほどのおじいちゃんが小山駅行きのホームへと来た。

 

 ここで丁度、折からの天気予報通りに雨がさんさんと降りだす。

 

 その際に私を見つけたんだろうね。

 バツが悪かったのか、おじいちゃんは、

 私がいる場所を避け、雨が降り注ぐ中、

 私とは一番遠いホームの先で雨に打たれながら小山駅行きの電車へと乗り込んだ・・・。

 

 ・・・だったら、

 あんなこと言わなければいいのにい。

 

 そんな雨に濡れるのなら難癖つけなきゃいいのに(もうこの時点では噛みつきもしないし気力も無い)

 

 趣味ってのは他人には理解されがたいのはよくあること。

 

 だからって『わざわざ貶すことは無い』よね。

 

 というーか同電にはびっくりした(と言うか地元の人じゃねーのかよ!w)

 

 雨が降らなければ・・・

 おじいちゃんが難癖つけなければ・・・

 

 と、思っていた『水戸線の他の煉瓦遺構』には次のお休みに行こうと思っています^^

 

 廃線・廃煉瓦。

 そこにそれ(煉瓦)はあるのです☆

 

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琴音の煉瓦刻印発見録♪『東京都文京区・北野神社ガンタ積みの刻印☆』牛坂・牛天神・常泉院など [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『本当は長野市の煉瓦ぶらり旅を書こうと思ったけど…』

 

 意外と写真多かったのでまた来年にでもw

 

 さてその代わりと言ってはなんなんですが、

 忙しい合間を縫って都内に出向いた時のワタシ日記でもどぞー(*´д`*)

(正直言うとゲームの一環で出向いただけっすけどw)

琴音の煉瓦刻印発見録♪牛坂ガンタ積み.jpg

 やって来たのは東京都文京区の春日

 

 え?どこらへんか分かりずらいって???

 

 簡単に言えば東京ドームの裏側です(何をもって裏なのかだが)

 そこには軍の射撃場跡が残る礫川公園もあるよね。

 その公園脇を春日通り沿いに進めば中央大学。

 そして大学の敷地をぐるりと巡るように路地へと入って行った私。

 すると見えてきたのはーーー

 

 

DSCF3516.jpg

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DSCF3519.jpg

 常泉院の新旧の煉瓦塀っす^^

 古い方は珍しいフランドル積み。

 

 んでもってー、

 ここは煉瓦刻印マニアたちがよく記事にもしている場所でもあるっす。

  

 さっそく煉瓦壁の笠下を覗き込めばーーー

DSCF3520.jpg

DSCF3521.jpg

DSCF3522.jpg

DSCF3523.jpg

 日本煉瓦製造に吸収されるまで千葉県や東京で古参であり大規模工場だった金町煉瓦の刻印がたくさん見られるのでやんす^^

 

 ですが今回の目的地はここじゃない。

 その先の一本道を進むとやがて見えてくるのがこちらの風景↓

DSCF3524.jpg

 ---素敵な坂だ(*´д`*)

 

 車一台が通るのがやっとの急坂。

 教授(駅員3さん)ならよだれ垂らして喜んでくれそうな坂っすよね(多分、もう来たことあると思う)

 

 実は、この私

 煉瓦にも坂にも興味ない頃にここを何度も通ってたりする。

『狭い道だにゃあ・・・』くらいにしか思ってなかった(常泉院の煉瓦塀もしかり)

DSCF3525.jpg

 少し下るとーーー

 左手はシダの這う高台。

 右手にはコンクリの塀。

 

DSCF3526.jpg

 そこにはこの坂『牛坂』の謂れが文京区教育委員会さんの解説版に記されていました(こんなの昔あったかな?)

 

DSCF3527.jpg

 ん?

 解説版の上を見上げて思ったんだけど、

 よくよくコンクリの壁の綻んだ部位を見ると『煉瓦』じゃん!

 この裏手はマンション。

 てっきりマンションと道を隔てるコンクリ塀だと思っていたけれど違うっぽい?

 

 さてシダの覆う反対側も見てみようか^^

DSCF3528.jpg

DSCF3529.jpg

 かあーーっ!

 こんなん昔は全然気にしてなかったけどお、

DSCF3530.jpg

 シダに覆われたその壁面は煉瓦のガンタ積みだったのねΣ(・□・;)

 

 ガンタ積みってのは建物の残骸・コンクリ片・コンクリ塊・煉瓦塊などを積み上げて新規の建築物の基礎部にする工法。

 とは言っても正式じゃない。

 ぶっちゃけ不安定だしとても薦められない基礎の積み方。

 東京だとこれは関東大震災や戦後によく行われた闇を潜る積み方でもあるっす。

 

 この上に建つ建物はーーー

 どうやら神社の社務所かなんかみたい。

 神社さんは古そうだけどここだけ違うのかな?

 

DSCF3531.jpg

 さて、何故かご丁寧に刻印の無さそうな煉瓦の横っ面ばかり不規則に積み上げてはいましたがーーー

 それでも煉瓦の刻印が見つかりそうな煉瓦の平面が突出してる部分もありましたっすよ☆

 

DSCF3532.jpg

 きましたね!

 小菅集治監の桜の複弁の刻印(*´д`*)

 なんとなく多分刻印があるならそうじゃないかと思ってたけれどやっぱこれが来たかってのがその時のワタシだった。

 

DSCF3533.jpg

DSCF3534.jpg

DSCF3535.jpg

 高台の切れ目(坂下の住宅との境)には、ガンタ積みした煉瓦と言うよりは、

 元々そこにあったのでは?という感じのレンガ積みが(ちょっと歪だけれど他よりは異)

 

 坂下までおりてきた私はその先へと進んでみた。

 

 すると道なり直ぐにーーー

DSCF3536.jpg

DSCF3537.jpg

 先ほどの煉瓦のガンタ積みを擁する北野神社(牛天神様)の参道が見えてきた。

 

 もしかしたらば先ほどの煉瓦の続きが見れるかも?

 と、私はいそいそとその階段を上がることにしたの^^

 

DSCF3538.jpg

 あった!(*´д`*)

 手すりの向こう側に煉瓦が見える!

 

DSCF3539.jpg

DSCF3540.jpg

 この北野神社の境内部には壁面も含めて幾つかの煉瓦が存在していることが分かった。

 

 さてっと、一通り見た私は家に帰ってじっくりと考えてみたっす。

『この煉瓦ちゃんたちは何者か?』って。

 

 それはまるでパズルのピース。

 軍が好きそうな小菅煉瓦の発見。

 歴史ある神社たちに散らばる煉瓦の塊、ガンタ積み。

 

 パズルのパネルが『かつてどんなだったか?』を知りたくて、

 古地図を開いてみたっす^^

東京工廠.jpg

 かつてこの地域は『東京工廠』もしくは『東京砲兵工廠』と言う日本陸軍の兵器を造る場所でした。

 (明治4年~昭和10年)

 その規模は今現在の東京ドームも後楽園も中央大学もすっぽり入っちゃう大きなもの。

 先ほどの牛坂のガンタ積みもまた、その敷地内だよねコレ。

 

 だから私はその東京工廠が幕を閉じた昭和10年以降に北野神社や地元の方が軍の煉瓦の壁の塊などを持ち寄ったり譲り受けたりしてガンタ積みしちゃったんじゃないのかなーって思ったんだ。

 

 んん、でも調べていくとそれだけでは無いっぽいよ?

 

 東京工廠は関東大震災で昭和10年よりも前に甚大な被害を受けたとのこと。

 もしかしたらばあの煉瓦のガンタ積みは震災瓦礫の線もあるのでは?

 

 私っちの推論はここまでっす。

 素人だからねw(超絶、逃げ言葉w)

 

 関東大震災の瓦礫か

 東京工廠解体時の瓦礫か

 

 煉瓦1つとってもこれですよ。

 話は尽きない、土地の記憶ってやっぱ面白いよねえ~^^

 

 さてこのサブブログも今回の話が今年最後でしょう(メインブログ共々作者が忙しいので^^;)

 メインブログの煉瓦好きな女の子『琴音』の視点で、

 メインブログでは紹介しきれなかった記事を書かせていただきました。

 

 正直言うとメインブログで紹介したかった記事も幾つかあったりします^^;

 

 でもいいかな。こっちの方が煉瓦マニアのアクセスが断然多いしねw

 これからも合間を縫って細々と続けさせていただきますです(にっこり)

 

 次回は、また来年。

 ちょいとぶらりで訪れた長野のお話。

 

 ではでは、少なくともこの記事を見てくださった皆々様方に

 良いお年をお迎えくださいと伝えたところでお開きとしたいと思います^^

 

 →長野市編で会いましょう☆

 


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琴音の煉瓦刻印発見録♪『千葉県行徳・コカ・コーライーストジャパン㈱市川セールスセンター』 [琴音の煉瓦刻印発見録♪]

『かつて私は悔しい思いをした』

 

 それはと言うと千葉県市川市に残る国府台の旧陸軍武器庫(千葉血清研究所倉庫跡)の見学会でのことだったっす。

 

 私は既存の『カタカナのホ』の刻印以外に『〇が二つ』の刻印らしきものを見つけ関係者さんにその画像を持ち寄ったんだ^^

 内心、新しい刻印発見しちゃったんじゃない?わたしー(*´д`*)なんて思いながらご意見を伺ったの。

 

 でも返ってきた言葉は『刻印じゃないね』・・・・・・だった^^;

 それはホントに私の写真見たのかよってくらいの即答。

 

『ああ・・・そうですか。ですよね・・・ハイ^^;』とすごすごと退散したのはほろ苦い青春です。

 

 あの時は二度とここの見学会に来るもんか!なんて思ったし、

 既存のホの字の刻印の出どころはどこの工場だったんだろうと調べようかと思ってたのも止めちゃった(どうやら小菅のってことになってるみたいだけど)

 

 勿論、こっちはタダの煉瓦好きな小娘ですよ。

 先生方が違うねって言ったらそりゃそうだろうと思ったけどさ・・・

 

 そんな千葉血清所跡の赤煉瓦倉庫も今年から恒例の見学会が取りやめになってしまったと言うニュースを聞きかじった。

 

 なんでも有志さん達は市の保存を望んでいたけれど、

 市川市はそれを断念。民間売却への準備に入ったから・・・だとか。

 

 もう関わらないでおこうって思ってたけど、流石にそのニュースは寂しい。

 嫌な思い出があったとしても歴史的価値のある煉瓦建築が消えてしまう可能性が出てきたならそれは別物だもの^^;

 

 さて、

 その悔しい思い出のある赤レンガ倉庫の刻印の出どころを探るのは止めたんだけどお

 千葉県の煉瓦工場跡には興味はあった。

 今日はその中の『ひとつ』を探ってみたんだお^^

琴音の煉瓦刻印発見録♪千葉行徳コカ・コーライーストジャパン㈱の刻印.jpg

 実は私ってば『超絶、根に持つタイプ』なのだw

 負けん気とかそんな表向きな言葉じゃ無いねw

 

『先ほどのニュース(市川市が民間売却へ)』を聞いた私は久しぶりに古地図を開いた。

 

 赤レンガ倉庫のある千葉県市川市付近やその河川の流域にどれだけ煉瓦工場ってあったのか?

 もしかしたらばその近隣の煉瓦工場の煉瓦も使われていたんじゃないか?ってことも含めてね^^

 

 そしたらばーーー

 ビックリするぐらい現・市川市界隈には煉瓦工場があったのよお。

 

明治30年代・市川町付近.jpg

 これは明治30年代頃の市川町の江戸川流域。

 少なくとも3つは煉瓦工場の記号が見えるっす。

(対岸の小岩付近に二つ)

  

明治30年代・龍神社付近.jpg

 こっちは先ほどの画像よりやや南東(現・龍神社付近)

 

明治30年代・押切稲荷付近.jpg

 そして今は市川市の一部だけれども、元々は南行徳村の押切付近にも煉瓦工場のマーク。

 国府台から少し離れるし下流だけれど、明治当時は煉瓦の運搬には河川ってのは重要だったしね。

 船なら大した距離じゃない^^

 

 そんな中で、工場名が分かるものを探したんだけど、

 こんだけ煉瓦工場がこの付近にあるっちゅーのに、

 

工場通覧明治・稲荷木工場.jpg

 この市川市、昔の東葛飾郡付近で自分なりに調べて出てきた煉瓦工場は『稲荷木(とうかぎ)工場』だけでした・・・^^;

 創業は明治31年1月。

 

 国府台の赤レンガ倉庫の創建時期は諸説紛々。

 明治34~36年とも言われてるけれど、

 国府台に陸軍がやってきた明治18~19年代なんじゃ?とも言うしね。

 もし仮に明治中期だったならこの稲荷木工場も可能性あるのかな?

 

 さてと、この稲荷木工場ってのは『どこにあったのか?』を古地図で調べてみることに。

 東葛飾郡行徳町稲荷木って辺りらしい。

 するとーーー

明治30年代・稲荷木付近.jpg

 うーん・・・

 あれ?おかしいなあ・・・

 煉瓦工場の記号が無いよおお^^;

 

 そもそも明治の区割り(つまりはどこからどこまでが稲荷木地区なのか)ようけ分からんっすw

 

 そんでもってその周囲を調べたらあーーー

明治30年代・下新宿付近.jpg

 そこより少し南部の旧・江戸川付近、

 今で言う『市川市下新宿』に煉瓦工場記号を発見!

 

 ぶっちゃけ赤レンガ倉庫とも稲荷木工場とも関係無いだろーなーとは薄々感じてはいたけど、

 なんだかここに行ってみたくなった私。

 ハマってる位置ゲー『レキシトコネクト』でも未開のエリアだし、

 せっかくならばと探索に行ってみた(ここまでが前振りw)

 

DSCF3308.jpg

 やって来たのは『妙典駅』っす^^

 ここが一番近いんじゃないかな~って思ったからね。

 

 さて歩き始めてビックリ!

 お寺の数が凄いこと!凄いこと!

 街並みもどことなく古い!

 徳川時代から続く寺町の一角だったんすね^^

 おのずと煉瓦の匂いもプンプンしてきたっすよー

 

DSCF3309.jpg

 歩き始めて15分くらい。

 行徳街道沿いに小さな建屋が見えてきました。

 目の前に止まってるのは見慣れた赤のカラーリングのアレ。

 ここは『コカ・コーライーストジャパン㈱市川セールスセンター』ってとこっす。

 

 前調査の段階では『この敷地は元々煉瓦工場の場所』だったんす。

 ぶっちゃけ行き当たりばったりでここに来たのだけれど、

 可能性求めて煉瓦片でも探してみやしょうず^^

 

DSCF3310.jpg

 するとーーー

 

 !!!???

 

DSCF3311.jpg

DSCF3313.jpg

 敷地の外周は煉瓦敷きじゃないですか!(*´д`*)

 少しの可能性だけでここに来たので私的に大歓喜☆

 

DSCF3314.jpg

 煉瓦の質感はまんざらでもない。

 少なくとも新しいイマドキ煉瓦ちゃんじゃない(経験則)

 

 んじゃー!

 こんだけたっぷり煉瓦ちゃんが居るんだから早速しらべましょう!

 当然、煉瓦の刻印だよ(*´д`*)

 

 するとーーー 

DSCF3319.jpg

 ん? ◎が擦れたような感じの奴が!

 

DSCF3312.jpg

 そしてコッチはクッキリハッキリ

『◎の刻印!』

 

 むう、喜んではいけないいけない。

 刻印の可能性もあるけれど、あくまでも可能性ってだけ。

 これと同じ奴が他にもあったならそのパーセンテージはグッと上がるはずと言うことで、

 その他の場所も探ることに^^

 

DSCF3315.jpg

 敷地に対してぐるりと巡ってみた感じ、

 煉瓦に囲まれているのは行徳街道に面した部分と、

 北側の側面ごく一部のみでした。

 

 その北側の側面。古めかしいコカ・コーライーストジャパン㈱の事務所棟とセールスセンター棟の間の小道の煉瓦も見てみることにしたお^^

 

DSCF3316.jpg

DSCF3317.jpg

DSCF3318.jpg

 ふおお~、刻印は無かったけれど縮緬皺が数多く見て取れた。

 これは自分的見立てだけれど、

 少なくとも新しくて大正初期。

 古くて明治中期の煉瓦ちゃんだと思うんだよね^^

 

 さて、家に帰ってから色々と調べなおしてみたんす。

『これって本当に煉瓦工場の名残なのか?』をば。

 

 このコカ・コーライーストジャパン㈱の敷地、

 昭和の初め頃までは『煉瓦工場の表記』が地図に存在していました。

 表記的には明治30~から昭和初期だから長く続いた煉瓦工場だったんじゃないかしら^^

 

 さてと、

 ここが稲荷木工場かと言えばそこはよく分かりませんでした。

 多分、別の煉瓦工場だったんだと思います(地名的にも遠いし)

 では、このコカ・コーライーストジャパン㈱の外周周りの煉瓦ちゃんは『工場の名残だったのか?』を推察してみたいと思うっす。

 

 実はこのコカ・コーライーストジャパン㈱セールスセンター市川と言うのは、

 野田醤油。つまりは『キッコーマン』の元所有地。

 しかもキッコーマンって、かつては『利根コカ・コーラボトリング』と言う清涼飲料水の工場も抱えていました。

 

 知らなかったからそれだけでも驚きだったんすが(マックスコーヒー造ってたのかよキッコーマンw)

 

 以前はこの辺りに『野田の醤油工場』もあったそうなんすよ。

 

 そこで見えてくるのは『醤油工場の煉瓦の名残説』っす。

 なんせ野田市と言うかキッコーマンは煉瓦建築好きだったしねw

 

 で、年表な感じでザっと書いてみやす

 

 市川にあったとされる行徳醤油工場は永禄から???

           ↓

 だけど地図表記的には明治30年頃から昭和初期まで窯業工場の地図記号。

           ↓

 1962年に利根コカ・コーラボトリング市川工場が野田醤油の遊休地となっていた行徳工場跡地付近に設立。

 本社屋は行徳街道挟んで向かい側の下新宿15番地。

 目の前のセールスセンターの事務所棟もそのころからあんまり変わってないらしい。

 

 ( ,,`・ω・´)ンンン?

 昔からキッコーマンの所有地だったところに煉瓦工場の地図記号って何かおかしくね???

 

 

 もしかしたら・・・土地所有は江戸からキッコーマンだけれども、

 遊休地時代(旧野田醤油行徳工場廃止~昭和中期)は煉瓦工場に貸し出ししてたとかかな?

 もう訳わっかんないやーw

 

 と言うことで推察も投げ出すことにしましたw(もっと調べれば見つかるんだろうが)

 

 千葉県辺りの煉瓦工場跡調べはこの後もするつもりなので、いつかどこかで線と点が繋がったらいいですね。

DSCF3320.jpg

 さて、このまま帰ってもいいんだけどぉ

 どうやらここから歩いて15分くらいのところに文化財指定の煉瓦ちゃんがあるらしいのでそこに最後の寄り道をしたよ^^

 

DSCF3321.jpg

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DSCF3323.jpg

DSCF3324.jpg

 やって来たのは『加藤家住宅主屋・煉瓦塀』っす^^

 かつて塩問屋さんとしてこの地で栄を語った明治後期の素敵な家屋っす^^

 

 とは言え私的にはーーー

DSCF3325.jpg

 この煉瓦塀よね(ウットリ)

 

DSCF3326.jpg

 しかもフランドル積み!(*´д`*)

 

DSCF3327.jpg

 さっそく見える範囲で刻印探し!

 でもでも刻印見つからず^^;

 

DSCF3328.jpg

 ん?

 

DSCF3330.jpg

DSCF3331.jpg

 あらら。

 なんか随分と目地が奥に引っ込んでて不安定^^;

 あまつさえ目地も無い部分も存在・・・

 それは主に補修部位だとは思うんだけど、それにしちゃ・・・随分と荒っぽいのね(崩れそう・・・)

 

 貴重な煉瓦塀だし、もうちっと保存を考えて欲しいかな。

 

 さてもう帰るのみ。

 でもこの旧・行徳街道ってのは見るものすべてが『古』を求める者には楽しいストリートでした。

DSCF3332.jpg

 その中でもこの家

 写真じゃ分かりにくいだろうけど、このお家、

 宙に浮いてたんすよ^^

 

 最初は曳家(ひきや。家屋自体をそのまま移動させる技術)かと思ったけど多分違うね。

 

 古い旧家だし、家屋を持ち上げて土台部や基礎の補修をしてたんだと思うよ。

 旧家は残したい!壊さず大事に長く残したいってことだと思います。

 

 これこそ本当の『保存』ってヤツじゃないのかな?

 

 そんな風に思った旧行徳街道の煉瓦工場跡地巡りでした。

 

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